2025年12月05日

まだ何かが余計

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 記念日。

 父の法要や行政手続きがようやく一段落し、個人的なお祝いごとでディナーを食べに行き、友人と会い、旅行に行き、そういう毎日を再開しました。そして気がついたらもう年の瀬になっていました。もっと個人ブログを更新しておこうと思ったのに、何だかな。

 持ち物の整理や、家の片付けや、家事のシステム作りや、時間の割り振りや、趣味に使う予算の割り振りや、そういったことをずっとああだこうだとひねくりまわしていたのですが、結局のところ、自分が「限りある器の中に、限りない中身を無理矢理詰め込もうとしている」という結論にしかたどりつきません。
 それでも昔に比べたら、ずいぶん色々なことをあきらめ、色々なことを手放し、色々なことがどうでもよくなり、詰め込もうとしているものは相当に減ったはずなのですが、それでも「10入る器に、11種類のものを1.1ずつ詰めようとする」みたいなことをやっていて、我に返ると「入る訳ないだろう……」と自分にあきれています。

 (ただ自分の書きたいことを)書くこと、本を読むこと、FF11と他の少しのゲームを遊ぶこと、軽鴨の君と暮らすこと、友人や家族と時間を共にすること、お茶とチョコレートと焼き菓子を味わうこと、米と豆と野菜とお魚と発酵食品を食べること、健康と地球環境を守ること、ゆっくり眠ること、よい香りを感じること、美しい色を目に入れること。
 私が人生で追い求めることは、たぶんこれでほとんど尽くせていると思うのですが、逆にこれらがひとつでも欠けるとやっていけないし、このひとつひとつに要求している内容がとても贅沢なもので、それなのに自分の体力や気力は限界があって、全てを満たす「アタリ判定」が針の穴になっている気がします。

 結局、もっともっと厳密に入れるものを絞り込んで減らすしかないんだろうなぁとは思うのですが。
 やりたいことをやりきれそうにない、という事実に謙虚になって、それでもやることを、身を切るような思いをしても選んでいく必要があるのでしょう。
 もしかしたら、冷たい水で泳ぐ時のように、最初はそれが身を切られるように感じても、次第に「こちらの方が本当に魂が求めていることだった」と気付いてつらくはなくなる……のかも、知れませんし。
posted by さとみん at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の日常

2025年10月01日

手続きとメモアプリとToDoアプリと

 最低限やらねばならない手続きは一段落して、逆に言えばここから時間のかかる面倒なあれこれがやってくるので、改めて気合いを入れております。まずは亡父の戸籍全謄本取得から……。
 どこぞの大臣が華々しくラッパを吹いてデジタル化したはずの日本行政システムですが、現実には便利が及んでない部分が多すぎ、こういう時の書類の取り寄せや手続きは、相変わらずアナログに「当該窓口に出向いて、書類を手で書いて」の繰り返しです。もう本籍という概念は滅びてほしい。何にもいいことない。
 と言ったら、友人が「本籍という概念がないと家族や親族との関係が維持できない人もいるから」と言っていて、まあそれはそれで同情はするのですが、やっぱり個人的には早く本籍というシステムはマイナンバーに発展的吸収されてほしいです(笑)。私は本籍や家制度や戸籍制度を堅固に守る社会より、夫婦別姓を実現してくれる社会の方が好きな人間です。いや、本籍があってもいいんですよ、あほみたいな行政手続きを簡略化してくれるんだったら……。

 失礼、口が悪くなりました(笑)。
 それはそれとして、最近は引き出し日記とActionsというアプリを使っているのですが、どれも使い始めはなかなか楽しかったものの、3ヶ月ほど使っていたら、微妙に不満が出てくるようになってしまいました。
 引き出し日記は、Apple Watchから走り書き風のメモを取るには、動作が軽くてユーザーインターフェースも綺麗で本当にいいのですが、いかんせんiOSでしか使えず、Macから書き込みができません。私はMacからのメモ記入も結構多い人間なので、その辺の同期が取れないとしんどいんですよね。結局DayOneに転記するしかなくなって、ちょっとなということに。
 Actionsはタスクアプリで、タスクを処理した時の動作が楽しくて操作的報酬感(笑)があるのですけど、タスクの順番を並べ替えたり一覧表示したりするための操作にかなりクセがあって、ちょっといらいらします。
 引き出し日記を作っているところが出しているRiverTodoというアプリが、これもやはり操作感がよくて動作も軽いのですが、こちらはこちらで、繰り返しタスクの設定ができない、というToDoアプリとしては割とシャレにならない欠点があり……。

 うーん、なかなかアプリって、完全な使い勝手を実現できるものが少ない。結局長年使っているOmniFocusと純正リマインダーに戻っていくのか。
posted by さとみん at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の日常

2025年09月24日

地の塩、天に還る

 父が亡くなった。
 母が亡くなった年齢に達した夏の終わりに、ついこの間までいつも通りだったのに、十数日であっという間に亡くなってしまった。突然死という訳ではなかったのだが、頭がついていかない。

 ここ数年は持病とのバランスを危ういながらも取っていたのだが、この夏のあまりの暑さで体重も減少し、出歩くこともめっきり少なくなり、という状態だったところへ、ちょっとしたきっかけで起きたことが、やじろべえを押し倒すようにして父を彼岸へ連れていってしまった。持ち堪える力が残っていなかったということなのだろう。しかし、本当についこの間まで全然いつも通りで、直前に行った病院の看護師さんも驚くほどの急展開だった。

 母の時は、亡くなるまでの数ヶ月次から次へと医療処置を施したのだが、父はその姿が気の毒だとずっと言っていて、私にも姉にも自分の時にはそういうのはしないで欲しいと言っていた。
 なので、医師から終末期の希望を訊かれた時も伝えるべきことははっきりしており、悩むことはなかった。ついに病院から呼ばれ、私も姉も駆けつけて、声をかけて顔に触れ、呼吸がゆっくりと間遠になっていくのを見守ることができた。
 われわれの生活を大きく侵食することなく、疲弊する介護もなく、娘二人が揃って声をかけるまで息を続け、そして穏やかに苦しむことなく息を引き取った。まるで「いいからいいから、お父さんにそんな面倒かけなくていいから」と言うように。
 直前に入院した時に、私が「なるべく面会に来るよ」と言ったら、「いいからいいから、無理しなくていいから」と苦笑して答えた口調が、脳裏によみがえった。

 精神科医の中井久夫さんが、やはり母を亡くされた時に、あまりの鮮やかな引き際に「パーフェクトゲームをされると残された者は参る」とエッセイに書いていたが、本当にそんな気分だ。

★★★

 通夜と葬儀はほぼ身内だけで行ったのだが、駆けつけた弔問客は、皆口を揃えて「本当にお世話になった、いい人だった」と感に堪えない様子だった。ひとりがしみじみと、「○○さん(父の名)のことでイヤな思い出って、ひとっつもないね」とつぶやいたほどだった。ふつう通夜の席では、冗談まじりに生前のやんちゃや悪行を言って悲しみを紛らわす人がいるものだが、そういう人は誰もいなかった。

 私には父がひとりしかいない。比較対象がないから、私にとって父と言う概念は、ほぼ亡くなった父でできている。
 個人の心の歴史においては、それなりに不満やぶつかる場面もあったのだけれど、それらは全て俯瞰視点で見れば可愛い範囲の代物である。
 私は父を嫌いになったことがないし、また逆に過剰に思い入れて父から離脱できず成人後の人間関係に支障をきたす、といった有り様にもならなかった。
 父は娘たちを心から愛し大切にし、そして一方で支配することも束縛することもなかった。そして母を守り大切にし、母が亡くなった年齢で母を追った。
 そんな父を持つことは、実は非常に恵まれたことであることを、私は知らずに大きくなったのだけれど。

★★★

 父は華やかなスポットライトとは無縁に生きて亡くなった。誰からも悪口を言われることのない人生を全うした。それはひとつの奇跡である。私はそれが奇跡であることに長いこと気づかなかった。そんな生があり得ることを教えてくれたということが、父が私にくれて何よりの贈り物だろうと思う。
posted by さとみん at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の日常

2025年08月03日

霞を食べる

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 チーズで和えると、野菜が水っぽくならなくていいですね。

 代々木上原にあるブータン料理のお店「ガテモタブン」で、ブータン料理のコースをいただいたら、美味しいのに食べ疲れない、満足感のある夕食になり、大変よい体験でした。
 どの料理も、食べた最初の一口に飛び上がって美味しい!というのとは違って、「美味しい……」と静かに感じつつ、そのテンションが最後まで下がらないのです。
 塩とトウガラシが味の柱で、あとは素材から出る味が複合されている感じで、そういう意味ではシンプルなのですが、飽きがこない。
 和食のよく作られたおばんざいとかでも、そういう静かな美味しさがありますが、それでも外食でいただく和食は、もっと一口目から美味しい美味しいという感じになります。たぶん、出汁と砂糖(や味醂)を効かせてあるせいだと思うのですが、そういう料理はどうも、後半食べ疲れが出てくるのですよね。
 この食べ疲れ感は、満腹感とも飽きとも別の軸で、ほんとに「疲れ」としか言い様がない何かで、年をくったせいか外食でよく感じるようになりました……(笑)。

 それとは別に、表参道の「茶茶の間」さんで、薔薇とウィスキーと麦茶のパフェ、というこれまた複雑で手の込んだパフェをいただいたのですが、香りと余韻をいかに完成させるかというテーマで作られたパフェだそうで、日本茶と合わせた時の口の中の香りがまさしく天上のものという感じでした。そして、これも香りが主体なので全体的に甘さ控えめに作られており、それでいて「甘くない」訳ではないので、満足感はしっかりある。

 これからの人生の食のテーマは、満足感がありながら食べ疲れない、になるのではないか……と、己の消化能力ともども振り返ったのでありました。
 思うに、仙人は霞を食うと言われ、浮世離れの感覚を示す表現に使われておりますが、もしやこの「食べ疲れず満足感がある」という食の極地こそが、仙人の「餐霞」のことではありますまいか(笑)。しかし仙人ならぬ身の上、霞の代わりに贅沢な食事をしてしまうのであります。
posted by さとみん at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の日常

2025年07月27日

暑い季節は考え事を

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 有機栽培抹茶の価格が高騰していて、もうすぐこの抹茶かき氷も食べられなくなるかもと聞き、恐怖に打ち震えております。

 酷暑の季節になり、明るい時間に全然出歩けなくなりました。
 以前は暑さにべらぼうに強かった私ですが、年齢のせいなのか、それともガイアの怒りが強すぎるのか、ここ数年は夏の昼間に出歩くとヘトヘトになってしまうようになりました。引っ越した新しい家は、断熱が素晴らしいですが、それでも間取りと立地の関係で風を通して涼むというのができず、エアコンをかけないと過ごせません。まあ前住んでいたところよりは、だいぶ消費エネルギーは減っているはずなんですが。
 夕方になり日差しが陰ってくると、多少はましになるので、その時間に散歩やら買い物やらをこなして、運動量を確保しようと必死に過ごしています。

 どうせ屋内にいるのなら、静かな環境で考え事でも進めようと、この夏の間に自分の生活でその場しのぎでとりあえず回している事々を、もう少し秩序立って扱えるような仕組みを組み立てたいと思っています。
 引っ越しが終わってからじわじわとしてか進んでいない片付けも兼ねて、
「考えたことや走り書きをまとめる」
「気になっている未読本・読み終わって感想をまとめておきたい本を整理する」
「健康を保つために甘いものをコントロールする」
「毎日やりたいことをやりきったと思って眠れるようにする」
「知足と静穏を実現する」
という5つを構築できたら、最高ですね。
 そうなりたい、というのは、何と言うか「ワクワクする!」とか「なりたい自分になる!」みたいな華やかな色合いの願いでは全然ないものです。そういうキラキラしたウィッシュリストを書いて実行していくライフスタイルというのに、羨ましさを正直感じることもあるのですけど、私にとっては華やかな何かをプラスすることよりも、頭の中に次々入ってくる思考の切片を綺麗に整理できることの方が重要度が高いということを、ようやく理解するようになりました。
 頭の中に、考えたいことを置いておけるスペースを、ちゃんと作りたいです。
posted by さとみん at 17:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の日常